日本を代表する文豪である夏目漱石。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」など、彼の作品は現在でも多くの人々に愛読されています。
漱石の墓は東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にあります。墓石は竿石の高さが115センチもある大きなもので、イギリス留学した漱石らしいモダンなデザイン墓となっています。正面には戒名である「文献院古道漱石居士」が刻まれています。
所在地:東京都豊島区 雑司ヶ谷霊園
墓石の形:デザイン墓
幕末という激動の時代を駆け抜けた新撰組、その局長を務めたのが近藤勇です。
勇の墓は東京都三鷹市大沢にある龍源寺にあります。芝石・中台・上台からなる和型の墓石で、正面には「近藤勇墓」と刻まれています。戒名は「貫天院殿純義忠大居士」。墓の左には勇の遺体を引き取ってきた近藤勇五郎の墓があります。ちなみに、沖田総司の墓は港区の専称寺に、土方歳三の墓は北海道函館市の称名寺にあります。
所在地:東京都三鷹市 龍源寺
墓石の形:和型
横山大観は水墨画の新境地を開く「朦朧体」を生み出すなど、近代日本画壇に大きな影響を与えた巨匠です。大観の墓は台東区の谷中霊園にあります。墓石は和型ですが、竿石が太く短い独特の形状をしています。正面には「横山大観」と刻まれています。
所在地:東京都台東区 谷中霊園
墓石の形:和型
「遠野物語」で有名な、日本の民俗学の祖である柳田國男。柳田國男の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。墓石は竿石の高さが約100センチの大きな和型で、正面には「柳田國男 室孝子墓」と刻まれています。孝子は柳田の妻です。戒名は「永隆院殿顕誉常正明国大居士」。
所在地:神奈川県川崎市 春秋苑
墓石の形:和型
漁での遭難の際、アメリカの捕鯨船に助けられた万次郎は、アメリカに渡り英語や数学、航海術や測量などを学びました。彼は我が国の米国留学生第一号であり、その体験や知識は幕末から維新にかけて、我が国の近代化に大きく貢献しました。
万次郎の墓は雑司ヶ谷霊園にあります。洋行帰りらしく墓石は三段の芝石の上に置かれた洋型墓です。
所在地:東京都豊島区 雑司ヶ谷霊園
墓石の形:洋型
「野良犬」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」「赤ひげ」など黒澤明監督の映画に多数出演し、黒澤作品には欠かせない存在であった俳優が三船敏郎です。特にベネチア映画祭金獅子賞に輝いた「羅生門」(1950年)は、彼の名声を国際的に高め、「用心棒」(1961年)、「赤ひげ」(1965年)と二度にわたって同映画祭の主演男優賞を受賞するきっかけともなりました。
三船の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。見晴らしのよい高台に彼は眠っています。
所在地:神奈川県川崎市 春秋苑
墓石の形:和型
明智小五郎や怪人二十面相などで知られる日本の探偵小説の基礎を築いた人物が江戸川乱歩です。乱歩の墓は東京の多磨霊園にあります。墓石は一般和型で、大きな竿石には「平井家之墓」と刻まれており、左手には乱歩とその父の著作について刻まれた墓誌があります。乱歩の戒名は「智勝院幻城乱歩居士」です。
所在地:東京都府中市 多磨霊園
墓石の形:和型
日本を代表する推理作家。「犬神家の一族」「八つ墓村」「獄門島」など、金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で一大旋風を巻き起こしました。1948年には「本陣殺人事件」により第1回日本探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞しています。
横溝の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。霊園全体が一望できる高台の上に黒御影の石碑が立っています。
所在地:神奈川県川崎市 春秋苑
墓石の形:和型
戦後の日本を代表する画家・彫刻家である岡本太郎。「芸術は爆発だ」という名言はあまりにも有名です。墓は多磨霊園にあり、広い敷地の中に母かの子、父一平、養女の敏子と共に眠っています。太郎の墓碑は1967年に制作された「午後の日」というブロンズ製の作品。なお、同じ作品は西宮市大谷記念美術館にもあります。正面には川端康成の辞が彫られた碑があります。
所在地:東京都府中市 多磨霊園
墓石の形:デザイン墓